突然!介護生活

母親の脳梗塞により突然始まった介護生活の記録

食事せず薬も飲まず

 
変調をきたした母をウチに一泊させて分かったのは、一人暮らしはもう無理ということでした。
 
 
認知症的な症状のために、薬を自分では飲むことができなくなっていました。
 
ウチに来る時、薬は持ってきたのですが、いつ何錠飲めばいいの分からず「飲まなくていいや」と放棄。
 
目薬に至っては自分の部屋のどこに置いたかもわからず、見つけられませんでした。
 
 
食事もほとんど摂っていないようです。
 
目の前に食事を用意しても食べないので、「食べて」と勧め続け、ようやく少し食べました。
 
 
しばらくこんな感じだったのでしょう。
 
体調は悪化し、数歩歩くと休むような衰えぶりです。
 
食べて薬を飲めば少しは改善するでしょうが、そのためには誰かが介助する必要があります。
 
今までのような一人暮らしは、もう無理だろうと思いました。
 
 
 
翌3月22日金曜日の朝、母の家に戻りました。
 
私も夫も仕事を休んで緊急対応。
 
地域包括支援センターの担当者と面会します。
 
担当者は地域で決まっているそうで、前日に電話に出た人とは別の、男性のケアマネさんが家まで来てくれました。
 
 
まず私から、給湯器取り付けの日に感じた異変や、近所の人から聞いた鍵の話を説明しました。
 
meinereise.hatenablog.jp
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「それまでは一人暮らしで問題なかったんですけどねー」と、ちょっと言い訳がましく言ったりして。
 
 
ケアマネさんから「通院している病院や飲んでいる薬は分かりますか?」と聞かれたので、診察券とお薬手帳を見せました。
 
母はお薬手帳、診察券、保険証、血圧手帳を一冊のファイルにまとめ、認印と一緒に袋に入れていたのです。
 
これは本当に助かりました。
 
この後、さまざまな手続きをすることになるのですが、ほぼこれで事足りました。
 
ケアマネさんもこのファイルを見て「これはスゴイ」と感心。
 
こういった情報が分からなくて困ることもことも多いんだろうな、と、この時ばかりは母を心の中で褒めました。
 
 
お薬手帳を見ると、最後に通院したのが2月20日。
 
私が最初に変調に気づいたのが3月10日ですから、その20日ほど前です。
 
母の家からクリニックまで、私の足でも10分以上かかります。
 
つまり母は、20日前にはまだかなりしっかりしていたのです。
 
 
ケアマネさんは母としばらく話した後で「急な症状なので、何かご病気の可能性もあると思います」と、内科の診察を勧めてくれました。
 
病気? 
 
私は勝手に、認知症が始まった、あるいは急に進んだのかと思っていましたが、その陰になんらかの病気があったのかもしれません。
 
 
ちょうど母の行きつけの内科医が、介護認定の意見書を書ける指定医だったので、まずはそのクリニックに行くよう言われました。
 
内科に行き、事情を説明して診察してもらうと、その場で近くの総合病院に電話してMRIの予約をしてくれました。
 
週明け25日月曜日、夫と共にまた会社を休んで検査の付き添いです。
 
 
 
内科の後は眼科に行きました。
 
母は元々緑内障がかなり進んでいて、失明一歩手前の状態。
 
進行を抑えるため目薬が必要です。
 
 
両方のクリニックで処方箋を出してもらって、とりあえず、食事と薬の管理をする日々が始まりました。
 
 
 

鍵が開けられない

 
母のナゾの言動から10日後の3月20日。
 
仕事中、18:00ごろ社有スマホに電話がかかって来ました。
 
見覚えのない電話番号。
 
普段なら出ないのですが、この時は仕事に関する電話を待っていたため、ためらわずに出ました。
 
すると。
 
「あー、出てくれて良かった! お母さんがたいへんなことになってるんですよ!」
 
嫌な予感……。
 
 
 
女性は団地の同じ階の人だそうです。
 
一生懸命話してくれるのですが、気が動転しているのか要領を得ません。
 
母が何かたいへんなことをしでかして、近所の人たちが集まって大騒ぎになっているのか? 
 
一瞬身構えましたが、よくよく聞いてみると、何の事はない。
 
要するに、この女性が母を訪ねたのに、母は室内から鍵を開けることができなくて、大騒ぎして鍵を何とか開けた、ということでした。
 
今すぐに来て!という話ではなかったので、一安心。
 
この日は夜勤で簡単に抜け出せる状況ではなかったため、丁重にお礼を言い「近いうちに対応する」と約束して、電話を切りました。
 
 
 
しかし、室内から鍵を開けられなくなるとは……。
 
鍵はツマミを回せば開く極めてシンプルなタイプです。
 
何十年も住んでいて、ずっと使ってきた鍵なのに、それが開けられなくなるなんて。
 
10日前のナゾの言動を思い出しました。
 
あの時もやっぱり明らかにおかしかった。
 
電話の女性は「今回が初めてではない」と言ったので「いつごろからですか」と尋ねると「10日くらい前にも同じようなことがあった」と言っていました。
 
やっぱり10日前か……。
 
そのころ急におかしくなったのでしょうか。
 
 
 
夜勤を終えて翌21日の未明に帰宅、昼過ぎ起床。
 
木曜だけど、春分の日なので私も夫もお休みです。
 
夫に事情を話し、ネットでいろいろ調べながら善後策を講じました。
 
とにかく近いうちに何とかしなくちゃいけないのは間違いありません。
 
ただ、私は金・土と仕事なので、とりあえず日曜に母のところへ行くことにしました。
 
 
 
そして、その夕方。
 
予約していたマッサージに行って、終わったところでスマホを見ると、夫からメッセージが。
 
「お母さんから電話が来た。行かないとマズイから帰ってきて。近所の人が来てるみたい」
 
 
 
また何かやらかしたのか!と思い、夫と二人で急ぎ駆けつけると、母は一人で静かに部屋にいました。
 
近所の人に囲まれて訳の分からないことを叫んでいるような事態を想像していたのですが、思いのほか普通。
 
ただ、なんだかぼんやりしていて、周囲で起きていることが何も分かっていないかのようです。
 
 
 
どうすればいいか分からなかったので、ネットで見つけた「地域包括支援センター」に電話してみました。
 
基本は平日のみの対応ですが、土日祝日も電話は通じます。
 
この時も事情を話すと「今日は無理ですが、明日朝一番で担当者が対応するようにします」と言ってくれました。
 
 
 
母は一人で残しておけない感じだったので、とりあえず私たちの家に連れて帰りました。
 
今後どうなるのか、どうすればいいのか。
 
「地域包括支援センター」だけが、この時の頼みの綱でした。
 
 
 

最初の異変

 
母は現在83歳。
 
元々、今ひとつ話が噛み合わない人で、投げかけた問いにまともに答えないのは普通のことだし、会話の文脈と全然関係ない話を突然始めたりするのも日常茶飯事。
 
まあ、おばさんって(私も含めて)そういうタイプ少なくないよねーと、気にも留めずにきたのです。
 
同居ならストレスだったかもしれませんが、別居だったので、たまに会った時に会話があまり成立しなくても、全然気にしていませんでした。
 
 
しかし。
 
 
最初におかしいなと思ったのは3月10日。
 
母の家の台所給湯器が壊れたので買い換え、取付業者が来るので立ち会った時のことでした。
 
母は業者の訪問チャイムが鳴っても「時計が鳴った」と勘違いし、気にも留めず。
 
耳が遠くなってきたので、聞き分けられなくなったのかな。
 
そう思って、私が業者2人を招き入れ、簡単に説明して、工事を始めてもらいました。
 
母の元に戻って「業者さん来たよ」と声をかけると「んー」と気のない返事。
 
ところが、業者が作業を始めて5分ほどたった頃、母は突然言いました。
 
「あ、湯沸かし器……来れば分かるから大丈夫ね」
 
 
???
 
一瞬、何を言っているのか分かりませんでした。
 
業者が部屋に入って来たことも、私と業者がいろいろ打ち合わせていたことも、「業者さん来たよ」と伝えたことも、業者2人が会話しながら作業していることも、工事の音さえも、母は一切認識していなかったのです。
 
狭い団地の部屋ですよ? 
 
入り口のすぐ横にキッチン。その向かい側、カーテンで仕切った部屋に母。
 
耳が遠くなったにしても、気づかなさすぎです!
 
 
ついに認知症が始まったのかもしれない、と思いました。
 
 
が、しかし、この時、私は特に何もしませんでした。
 
何だか分からないので、とにかく、しばらく様子を見ることにしたのです。
 
 
 
一時的なものなのかも(希望的観測)。
 
多少の認知症的な症状は、このくらいの歳になれば普通なのかも(希望的観測)。
 
 
「正常性バイアス」ってやつでしょうか。
 
家に帰ったら認知症についてネットで調べてみようと思いつつ、すっかり忘れていました。
 
考えたくなかったのかもしれません。
 
 
 
現実逃避。
 
 
 
今思えば、最後の猶予期間だったという気がします。
 
そんな私に、わずか10日後、1本の電話がかかって来ました。
 
 
 

1本の電話から

 
仕事中に、スマホにかかってきた1本の電話から、すべては始まりました。
 
「あー、出てくれて良かった! お母さんがたいへんなことになっているんですよ!」
 
電話の女性は、そう言いました。
 
会ったこともありませんが、母の暮らす団地の同じフロアの人でした。
 
 
 
一人暮らしの母を引き取って介護しなければならなくなる日が、いつか来るかもしれないとは、漠然と思っていました。
 
しかし、できれば来てほしくない日。
 
もしそうなったらその時に考えようと、直視せずにきました。
 
ついに、来てしまいました。
 
 
 
介護のことは時々ニュースや知人の話で耳にする程度の知識しかありません。
 
どうしていいのか、全くわからず。
 
 
 
とりあえず手探りで対応しています。
 
 
 
同じように、突然、親の介護に向かい合わざるを得なくなる人は、少なくないでしょう。
 
情報交換ができれば、あるいは、お役に立てればと思い、ブログを始めることにしました。
 
少しずつですが、悪戦苦闘の記録を残していきたいと考えています。