突然!介護生活

母親の脳梗塞により突然始まった介護生活の記録

最初の異変

 
母は現在83歳。
 
元々、今ひとつ話が噛み合わない人で、投げかけた問いにまともに答えないのは普通のことだし、会話の文脈と全然関係ない話を突然始めたりするのも日常茶飯事。
 
まあ、おばさんって(私も含めて)そういうタイプ少なくないよねーと、気にも留めずにきたのです。
 
同居ならストレスだったかもしれませんが、別居だったので、たまに会った時に会話があまり成立しなくても、全然気にしていませんでした。
 
 
しかし。
 
 
最初におかしいなと思ったのは3月10日。
 
母の家の台所給湯器が壊れたので買い換え、取付業者が来るので立ち会った時のことでした。
 
母は業者の訪問チャイムが鳴っても「時計が鳴った」と勘違いし、気にも留めず。
 
耳が遠くなってきたので、聞き分けられなくなったのかな。
 
そう思って、私が業者2人を招き入れ、簡単に説明して、工事を始めてもらいました。
 
母の元に戻って「業者さん来たよ」と声をかけると「んー」と気のない返事。
 
ところが、業者が作業を始めて5分ほどたった頃、母は突然言いました。
 
「あ、湯沸かし器……来れば分かるから大丈夫ね」
 
 
???
 
一瞬、何を言っているのか分かりませんでした。
 
業者が部屋に入って来たことも、私と業者がいろいろ打ち合わせていたことも、「業者さん来たよ」と伝えたことも、業者2人が会話しながら作業していることも、工事の音さえも、母は一切認識していなかったのです。
 
狭い団地の部屋ですよ? 
 
入り口のすぐ横にキッチン。その向かい側、カーテンで仕切った部屋に母。
 
耳が遠くなったにしても、気づかなさすぎです!
 
 
ついに認知症が始まったのかもしれない、と思いました。
 
 
が、しかし、この時、私は特に何もしませんでした。
 
何だか分からないので、とにかく、しばらく様子を見ることにしたのです。
 
 
 
一時的なものなのかも(希望的観測)。
 
多少の認知症的な症状は、このくらいの歳になれば普通なのかも(希望的観測)。
 
 
「正常性バイアス」ってやつでしょうか。
 
家に帰ったら認知症についてネットで調べてみようと思いつつ、すっかり忘れていました。
 
考えたくなかったのかもしれません。
 
 
 
現実逃避。
 
 
 
今思えば、最後の猶予期間だったという気がします。
 
そんな私に、わずか10日後、1本の電話がかかって来ました。
 
 
 

1本の電話から

 
仕事中に、スマホにかかってきた1本の電話から、すべては始まりました。
 
「あー、出てくれて良かった! お母さんがたいへんなことになっているんですよ!」
 
電話の女性は、そう言いました。
 
会ったこともありませんが、母の暮らす団地の同じフロアの人でした。
 
 
 
一人暮らしの母を引き取って介護しなければならなくなる日が、いつか来るかもしれないとは、漠然と思っていました。
 
しかし、できれば来てほしくない日。
 
もしそうなったらその時に考えようと、直視せずにきました。
 
ついに、来てしまいました。
 
 
 
介護のことは時々ニュースや知人の話で耳にする程度の知識しかありません。
 
どうしていいのか、全くわからず。
 
 
 
とりあえず手探りで対応しています。
 
 
 
同じように、突然、親の介護に向かい合わざるを得なくなる人は、少なくないでしょう。
 
情報交換ができれば、あるいは、お役に立てればと思い、ブログを始めることにしました。
 
少しずつですが、悪戦苦闘の記録を残していきたいと考えています。